エミリオ・ナッパ大司教訪日―真生会館の信徒グループとの集いでの講話
Incontro con il gruppo del Shinseikaikan (Centro della vita retta)
真生会館の信徒グループとの集い
2025年3月25日火曜日11時45分
皆さんこんにちは。
わたしはバチカン市国行政庁次官で前教皇庁宣教事業会長のエミリオ・ナッパ大司教です。今日、真生会館の皆さんとお会いできてうれしく思っています。
岩下神父が1934年に聖フィリッポ学生寮として創設した真生会館は、昨年創立90周年を迎えました。創設者である岩下神父は、当初から、学生たちに寝食の場を提供するだけでなく、カトリックの価値に根ざした教育を行なうことも目指していました。こうしたビジョンに基づいて、カトリック学生連盟が誕生しました。そして現在真生会館は、学生向けの活動を行なうだけでなく、年齢や背景に関係なくすべての人に質の高い文化的成長の機会を提供して、とくにカトリック精神の普及に努めています。
現在の国際情勢は、真生会館が創設された当時と比べて、大きく改善されているわけではありません。岩下神父は、軍国主義が支配的な時代に、キリスト教的な価値に基づいて学生を教育しようと考えていました。ナショナリズムが優勢となり、数々の世界的な紛争が起きているいま、こうした価値観に基づく養成を受けた人材の必要性がますます高まっていることは明白です。
残念なことに、ミャンマー、シリア、アフガニスタン、ウクライナ、ロシア、レバノン、パレスチナ、モザンビーク、南スーダンなど、現在紛争や戦争状態にある地域を挙げれば、際限がありません。とくにミャンマーにおける紛争や内戦は、西洋では忘れられた悲劇となっています。しかし、この国の一部の地域では、60年以上も内戦が続いています。人間の尊厳を奪われ、圧制や搾取を受け続けているロヒンギャの民のことも忘れてはなりません。教会も苦しんでいます。少なくとも4つの教区で、司教たちが司教座聖堂や司教館を離れることを余儀なくされています。政府軍と反乱軍との間の爆撃で、多くの小教区が破壊され、閉鎖されました。例えばミャンマー北部のロイコー教区の信徒は、爆撃を逃れるために、洞窟に避難しています。昨年のクリスマスには、ロイコーの司教がこうした洞窟の一つで、信者とともにクリスマスのミサを祝いました。
こうした状況を前に、カトリック精神、すなわち平和の精神に基づいて学生を教育することを望んだ岩下神父ならどう考えただろうかと想像してみてください。平和に関して、第二バチカン公会議使徒憲章『現代世界憲章』の有名な78節で述べられていることを心に留めてください。
「平和は単に戦争がないことでもなければ、敵対する力の均衡を保持することでもなく、独裁的な支配から生じるものでもない。平和を『正義が造り出すもの』と定義することは正しく、適切である。…平和は永久的に獲得されたものではなく、たえず建設されるべきものである。そのうえ人間の意志は弱く、罪によって傷つけられているため、平和獲得のためには、各自がたえず激情を抑えることと、正当な権力による警戒が必要である。 「しかし、それだけでは十分でない。個人の福祉が保障され、人々が信頼をもって精神と才能の富を互いに自発的に分かち合わなければ、地上に平和は獲得できない。他人および他国民と、また彼らの尊厳を尊重する確固たる意志および兄弟愛の積極的な実践は、平和建設のために絶対に必要である。こうして平和は、正義がもたらしうるものを超える愛の実りでもある」。
ですから、わたしたちが追い求める平和は、正義と愛の両方の実りです。そしてこの愛は、イエス・キリストのうちにそのもっとも完全な表現を見出します。愛は、兄弟姉妹のために自分のいのちをささげるようわたしたちを促します。教会の社会教説は、神から与えられた人間の尊厳を強調して、「貧者のための優先的な選択」を常に主張してきました。しかしこの尊厳は、もっとも貧しく、もっとも周縁にいる人たちを保護しない限り、完全に尊重されることはないでしょう。そうした意味で、聖ヨハネ・クリゾストモは、こう述べています。「自分の財産を貧しい人々に分かち与えないとすれば、それは貧しい人々のものを盗むことになり、彼らの生命を奪うことになります。わたしたちが持っている物はわたしたちのものではなく、貧しい人々のものです」(『カトリック教会のカテキズム』2446)
貧しい人々と物質的な財を分け合うことは重要です。そうすることによって、貧しい人たちが生きるために必要なものを受け、神の似姿としてつくられた人間としての基本的な尊厳を保つことができるからです。とはいえ、心において貧しい人たちと信仰の豊かさを分かち合うことも忘れてはなりません。真生会館における皆さんの活動は、とくにこうした側面に注意を集中させながら続けていくべきものであるとわたしは固く信じています。
わたしたちキリスト者は、今日猛威を振るう戦争や紛争を前に、正義と愛の実りである平和が最終的に花開くことを祈るよう促されています。この目標を達成するためには、わたしたちがキリスト教の価値観を分かち合って、世界と対話し続ける必要があります。キリスト教の価値観を広めるため、90年にわたって奉仕してきた皆さんにいま一度感謝しつつ、神の母聖マリアと日本のすべての殉教者聖人のとりなしによって、皆さん方のうちに始まったわざを主が完成に導いてくださるようにお祈りいたします。心から感謝します。よい聖年をお迎えください。
バチカン市国行政庁次官・前教皇庁宣教事業会長
エミリオ・ナッパ大司教
